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マエケンの作品置場
作品置場です。
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猫さん
「これはなあに?」
七海がゆびを指す。
「これはね、猫さんだよ」
「――えっ、これが猫なの?」

七海はきらきらとよく光る瞳で見つめている。
その瞳に映っているのは一匹の猫、まあ猫としか言いようのない生き物だ。
白黒のぶち模様で、毛並みがつやつやと輝いている。炬燵布団の上に前脚を手前に折り込むようにして行儀よくすわっている。三角の耳がぴんと立って、その下の双眸は糸のように細い。気持ち良さそうに眠っているように見えるが、体側に沿って巻き込むように置かれた長い尻尾のその先端が、まるでリズムでも取るようにぱたぱたと布団を叩いていた。
それはどこから見ても猫には違いない。だが、問題はその大きさだ。

この猫は大きい。
武彦も大きな猫は見たことがある。しかしこの猫の大きさは常軌を逸していた。蹲っているから比較は難しいが、四歳になる七海よりもぐっと大きい感じがする。計ったことはないが体重だって、たまに配達される十キロのコシヒカリより重いのは確かだった。だいたい中型の犬ほどと思えば間違いない。

「おっ……」
七海は大きく息を飲む。そして吐き出しながら、
「きい」
と言った。小さな手のひらを唇の前でちょこんと合わせる。まあびっくり、とでも言うように。そのしぐさがまた可愛い。

武彦は炬燵に入っている。
そとは今夜も雪である。吹雪いているらしく、耳をすますとごおーっと風の音がする。 この冬は例年より雪が多い。雪かきをサボっているので、二、三日前から玄関が開かなかった。まさに缶詰状態なのだが、いまの武彦にとってそんなことはどうでもよかった。
好物の焼酎のお湯割りを口に含む。思わず頬が緩む。うまいのだ。
焼酎も食料もこの冬を過ごすのに充分すぎる量が倉庫に買いだめしてあった。寝たい時に寝たいだけ寝て、食べたいだけ食べて、飲みたいだけ飲む。勤め人の時分からの唯一の趣味である映画は、ケーブルテレビでまさに観たいだけ観られる。

「ねえおじいちゃん」
七海が武彦を見あげる。猫をなでている。ごおーっという低い音がする。風の音かと思ったのは、猫の喉が鳴っていたのだ。

「この猫、おなまえは?」
「猫さんだよ。猫さんという名前の猫なんだ」
「えっー、へんなのーっ」
七海はきゃっきゃっと笑った。

武彦もけらけらと笑った。こんなふうに笑ったのは、とても久しぶりだと思った。
焼酎をちびりとやる。アルコールがはらわたに染みていく。それと同じように、幸福というものがじーんと身体じゅうに行きわるような、そんな感覚を味わっていた。
そう、そしてもうひとつ幸福がある。

「ねえ七ちゃん、おじいちゃんと一緒にお風呂に入ろうか。大きいお風呂だよ」
猫の首を両手で抱いていた七海が、くるりと武彦をかえり見る。
「うん」
にっこりと笑った。

この家には温泉がひいてある。つまりいつでも入りたいだけ温泉に入れるのだ。
六十代も半ばを過ぎてようやく手に入れた最高の幸せ。武彦は軽い酔いとともに、満足感に浸った。
そして可愛い孫娘。
それにしてもなぜ七海なんだ。親はこの娘を船乗りにでもするつもりなのか。まったく近ごろの親は名前の付け方からしてなってない。……と、そう思ってはっとした。
親はどうした?

七海は娘夫婦の一粒種である。
あたりを見渡す。家は二LDK、ログハウス風の造りになっている。武彦のいる和室からはリビングと台所が見渡せる。だが、娘夫婦の姿は見えない。そればかりでなく、娘夫婦がやってきた形跡、例えば見知らぬ荷物とか……すらも見当たらなかった。
いったいどういうことなのだ?親がいなくて七海はどうやってここまで来たというのだ。
いや、そうじゃない。何かがおかしい。七海は今いくつだ? 確か去年中学へ入ったと、お祝いを送ったはず……。

と、そのとき、頭の中で何かが回り出した。
ぐるぐると、ぐるぐると。

まるで脳みそが渦巻いているような感覚。奇妙だが、そうとしか言いようがない。記憶やいろいろな大切なものが渦の中心に向かって吸い込まれて行く。
七海が笑っている。笑っている……。

「わたしにとって結婚はあの時に終わっていたの。二十六年前のあの時に」
武彦はぎょっとした。思わず後ろにのけ反って床柱のごつごつした節に後頭部をしたたかに打ち付けた。痛かったが、それどころではない。
あごが細く、白っぽい顔。鳶色の瞳、そう、あの女の瞳はこういう色だった。その瞳が武彦をじっと見ている。愛情も憎しみも彼方へ置き忘れたような、ただ見るためにだけに見ているような瞳。あの瞳に見られると武彦は、自分が物か虫けらにでもなったような思いがしたものだ。
離婚した妻の敏江がいた。

「オマエが歳だから、こんな子供が生まれたんだ……そう言ったわね」
武彦は目を逸らす。焼酎のグラスに手を伸ばす。口に含む。ひどい味だった。
「目を逸らさないで」
敏江が言う。なぜだか逆らえずに、武彦は顔を上げてしまう。あの目があった。
「言ったわね」
「ああ、言った、言ったよ」
敏江の口元にうっすらと笑みが浮かぶ。唇の周囲の笑いじわが震えるように動いた。嗤っているのだ。
「すべてはあなたのせい……自業自得だわ」
「何を言うかこの女は。俺は今、人生で最高に幸せなのだ」

幸せなのだ、と言ってはっと思った。
俺は幸せなのだろうか?
そう言えばなぜ敏江がここにいるのか。大船の娘夫婦の家の近くにマンションを借りて悠々自適に暮らしていると聞いていたが……。

その時、何かがぱちんと弾けた感覚があった。
武彦は顔を上げた。ひとわたり周囲を見渡した。がらんとしたいつもの風景。ダイニングテーブルにはインスタントラーメンのカップが幾つも放置されており、各々吸い殻が、溢れんばかりに詰め込まれている。はみ出した茶色い吸い殻は、何やら奇妙な毒キノコのようにも見えた。
そこには誰もいなかった。

ごおーっという低い音がする。傍らに目をやる。大きな猫が三角の耳をぴんと立て、座っていた。

柱時計を見た。九時をさしている。そとは暗い。夜の九時だと思ったが、よく考えるとそとが暗いのは雪で埋もれているからなのかも知れなかった。二階に上がってみれば分かると思ったが面倒くさくなり、やめた。どちらでもよいと思った。
夢を……見ていたのだろうか。それにしてもやけに現実感のある夢だ、と武彦は思った。

焼酎を口に運ぶ。そう言えば夢の中でもこの焼酎を飲んでいた。味は……焼酎だった。うまくもまずくもない普通の焼酎の味。

二十六年まえ、夫婦にとっては第二子が誕生した。長女の誕生から七年も開いた久々の出産。待望の男の子。だが赤ん坊は重度の障害をもって生まれた。
誕生から何日かした頃、圧倒的な現実に直面し余裕を失った夫婦はささいなきっかけから口論となり、くだんの台詞を武彦は投げ付けてしまった。その後、一カ月もしないうちに耕策と名付けられた長男は亡くなった。

それから敏江は偽りの妻、偽りの団欒、いつわりの性生活を二十六年も続け、武彦が定年の後再就職した会社を周囲との折り合いが悪く自己都合で辞めた翌朝、ついに偽りを捨てたのだった。武彦は六十一歳、敏江は三つ年下の五十八歳。働きづめに働いて、武彦はようやくこれから夫婦ふたりの生活を楽しもうと思っていた矢先であった。
ともに笑い、ともに泣き、愛し合っていると信じていた夫婦の暮らしが、実は虚ろであったとは……。

「女というものは……いや人間というものは、本当にわからないものだ」
妙にこざっぱりと、まるで一本の映画を見終わった後の感慨のように武彦は思った。もう争う気持ちはなかった。裁判沙汰にでもなれば、武彦は本当に二十六年間のすべてを失ってしまうと思った。

財産を処分しきれいに半分に分けて、夫婦は離婚した。
武彦は、この際できれば雪国に大好きな温泉付きのリゾート物件を買って永住したいと考えた。そしてほどなくこの家に出会った。築もまだ浅く、広さも男やもめにはひろすぎるぐらいだ。値段は予算をだいぶオーバーしているが購入不可能な額ではない。一目で気に入って購入の交渉に入ろうととすると、痩せぎすの若い不動産屋が唐突にこう尋いた。

「猫、嫌いじゃないっスよね」
オーナーが飼っている猫を引き継いで飼ってくれないかと言う。
オーナーは老夫婦で、妻の痴呆が突然著しく進行してしまい、いま流行の『介護付きマンション型老人ホーム』に移ることにしたのだという。猫は連れて行けないので、猫の飼育を条件にこの家を譲渡したいと。

「じゃあ猫付きっていうことなんですね」
「まあ、そういうことっスよ」
その猫を見て武彦は仰天した。
猫は主のいないその家にひとりで住んでいた。オーナーに頼まれた近所の人が時々えさをやりに来るのだそうだ。
不動産屋がオーナーから聞いた話では、この猫はスーパーLキャットという種類で、何でもいまから十年ほど前にバイオメーカーと大手ペットショップチェーンが共同開発して限定百匹を販売したとか。遺伝子操作により生まれた大型猫だということだった。当時応募が殺到し、百匹は抽選となった。

ところが大きな問題があった。大型猫は頭がとても悪かったのだ。トイレの始末が覚えられない。あちこちに糞尿を撒かれたのでは堪らない。猫の糞尿はとても臭い。ましてや大型猫である。糞尿の量も大型だった。たちまち返品が続出し、百匹のほとんどが殺処分されたという。この猫はその数少ない生き残りなのだ。ちなみに生殖能力はないらしい。
「大型犬がいるんだから、大型猫がいたっていいんじゃないスかね」

そういう考えもあるかと思い武彦は「はあ」と応えた。
そして武彦と猫との共同生活が始まった。ちなみにトイレは前のオーナーがどうやって躾けたのか、自分専用の穴からそとへ出てきちんと用を足す。名前を聞き忘れたので「猫さん」と呼ぶことにした。何となく風格があって呼び捨てにするのは憚られたのだ。
「おとなしい猫だそうスよ。そうそう、笑うんだそうスよこの猫。まあボケボケのおばあちゃんの言うことっスから、わかんないスけどね」

確かに猫はおとなしかった。というより一日のほとんどを眠って過ごしているようだった。そして武彦は猫さんと初めての冬を迎えたのだ。
焼酎を飲む。やはり孤独であった。猫の頭を撫でる。ごおーっという低い音がする。この猫だけでも、居てよかったと武彦は思った。

すると、またあの奇妙な感覚が蘇る。

ぐるぐると、ぐるぐると。
 記憶も想い出も何もかもが、渦の中へ。

「どうしたのよ、しけた顔して」
武彦は顔を上げる。若い女である。長い髪、赤い髪だ。白くふっくらとした瓜ざね顔、片方がきゅっと切れ上がった唇。見覚えがある、見覚えがある。
「ミチ……」
女はゆったりとした仕草で髪を掻き上げると顔を近づけた。ちょっとほほ笑んでみせ、軽く口づけをした。軽い腋臭のにおいがする。
ひどく懐かしい、ミチのにおい。
十九から二十五まで、武彦はミチと同棲していた。ミチは四歳年上だった。子供だった武彦を男にし、水商売をしながら大学の学費まで援助してくれた。そんなミチを武彦は裏切った。大学を出て大手電機メーカーに就職した武彦は、上司の紹介する娘と結婚したのだった。

ミチのふるさとは、雪国だった。
武彦はミチの充分な弾力を秘めた胸に顔を埋める。ミチは小さく声をあげる。武彦は、ミチの頬から顎の線を指でなぞった。

「ミチ、きみは若いままだ。どうしてなんだ」
女はくすくす笑った。
「なに言ってるの、年下のくせに。あなただって若いわよ」
ミチは手鏡を渡す。武彦は自分の顔が二十のころに戻っているのを知った。

ごおーっという音がする。やっぱり風の音なのだろうか?
武彦はミチの肉付きのよい身体に押し倒される格好となった。そうしながら、猫の顔が目にはいった。

すると猫が、ニッと笑った。
 確かにそう見えたのだ。

そして同時に武彦の中にある確信が生まれ、それはあっという間に膨らんだ。
そういうことなのか?

「猫さん、おまえなのか、これはおまえが見せているのか?」

背中が凍りつくような恐怖、おばあさんの痴呆が突然進行したのはこのせいなのだろうか?
人間の勝手な都合で生み出されそして滅びていく種族の、呪いなのか?

それとも……。

敏江の声が頭の中で鳴り響いた。
「すべてはあなたのせい……自業自得だわ」
しかし目の前にはミチが、ミチの幻覚が圧倒的な存在感で迫っていた。武彦はミチの豊満な乳房をつかんだ。そして、もうどうでもよいと思った。
このまま雪に埋もれて幻想と過ごす幸せを思った。

もう春は永遠に来なければいい。

(了)
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